人間になるために
高校1年生の黙想会の翌日、高校2年生の黙想会でした。講話をしてくださるのは西経一神父様です。高校1年の時に引き続き、2回目の黙想会となる高校2年生。朝から、西神父様のお話を聞けることをとても楽しみにしていました。
高校2年生の感想文を一部紹介したいと思います。
『本日は素敵なお話ありがとうございました。今日のお話がとても楽しみで、いつもより早く、そして元気よく登校してきました。一番心に残っているのは「白血病のかずやくん」のお話です。まだ若いのに、白血病にかかり、体も細く、自分がやりたいことを思うようにできず、一番つらかったのは本人だと思います。しかし、お母さんの「ママがかずやくんと変わってあげたいよ」という言葉に対して、かずやくんは「ママじゃ我慢できないよ。僕だから我慢できるんだよ。」と言ったそうです。この話を聞いて、かずやくんは頼もしくて強くてかっこいい人間だなと涙がでました。人間なら、病気・痛み・弱点・欠点があると思います。私自身も欠点がいくつもあり、「ああなりたい。こうなりたい。」と理想を描いて、自分自身が嫌になることもあります。かずやくんは病気であったとしても何1つわがままを言わず、自分自身を受け入れて、堂々と生きていて立派だなと感じました。これから先、楽しいことばかりではなく、苦しくて辛い体験もたくさんあると思います。かずやくんのようにかっこいい人間になれるよう堂々と生きて、新しい自分に向かって、古い自分から立ち上がり、自分自身を変えていきたいと思います。』
『私は西神父様のお話には人の人生を変えられる力があると思います。去年の今、西神父様のお話を聞いた私自身の人生が変わったからです。自分に自信がなく、苦しんでいるとき、西神父様のお話を聞いたことで、「何が得意。何が不得意、何番だった。」などよりも、もっと大事なことがすぐ近くにあることに気づかされました。「勉強するのは人間になるためである。」「君が君だからいいのである。」西神父様がくださった言葉の数々は、ずっと私の心の中に深く刻まれていくのでしょう。その一方、西神父様のお話をもっと多くの人に聞いてほしいという願いもあります。人の苦しみ、痛みを理解したり、人の背景を理解する読解力を得るための勉強をして、西神父様のお話を決して無駄にしない生き方をしていきたいです。純心は人物などを生徒に教えるだけの学校ではありません。「マリア様、嫌なことはわたくしが喜んで」という言葉をモットーに、心の教育をしてくれる学校です。私は両親や祖母に「純心に入ってから変わったね。」と言われることが多いです。まだまだ未熟であることは承知していますが、純心に入ってから、自分自身を少しでも変えることができました。他者への憎悪や嫌悪感ばかりを抱くのではなく、隣人を自分のように愛し、敵となる人のことでも大切にしながら生活していきたいと思います。勉強をしたらした分だけ、物事の見方が変わり、自分の視野を広げることができます。「パンは人間の命と似ている。」誰かのために悩み、心を砕き、人のために時間を割くことで初めて役割を果たせるという言葉がとても好きでした。大人になったら、人への愛や優しさなどもっとも重要なことさえも見過ごしてしまい、一つ一つのことの背景を考えず、生活してしまうことが多くあると思います。そんなとき、西神父様の言葉を思い出し、自分の励みにしたいと思います。』
西神父様の愛のあるお言葉がとても生徒たちの心に響いたようでした。
西神父様、ありがとうございました。